幸せのものさし
満足の人生とは?
また、今日というドアが開いた
誰しもに訪れないドア
唯一の一日に感謝して
昨今、ブラックだのホワイトだの世間は大騒ぎしているが、ほんの少し前の日本では、「24時間働けますか?」などと、大企業が当たり前のようにテレビコマーシャルをしていたものだ
そんな中、家族を養い生計を立ててきた
恐らく、当時の皆さんや緒先輩方はそうだったと思う
当時は、どんな会社であれ数年で退職する人間は「ダメな奴、根性のないやつ」と年配者からは見られていた気がする
有給休暇やなんちゃら休暇など、無くて当たり前(取得できない)の世の中
労働時間も、時間管理ではなく出勤簿(各自押印)など、国がそれを認めていた時代
残業代など、無いのが当たり前
ここには、とても書けないような労働時間で、睡眠時間は毎日2~3時間ほど
しかし、それでもつらい事だけではなかった
仲間に恵まれた
これまで、どの職場でも
数十年前の仲間とも、未だにお付き合い頂いている方がいる
大変に感謝である
その頃は、家族のためにただただ必死で生計を立てるために働いた
しかし、会社の事情で資金繰りを担当しなければならず、再建していく中でそのやりがいに気づいてしまった
資金繰りは、普通は社長の仕事だが、資料作成等に詳しい人が少ないのが現実
また、ほとんどの従業員はやりたがらないのも現実
当たり前だが、会社を倒産させてしまうことが恐ろしいのだ
当時、若い私にはそのプレッシャーは大きかったが、周りの人々に助けられ再建することができた
従業員、取引先、金融機関の方々に喜んで頂き、その達成感は非常に大きく、感動を得られた
人生に、収入はもちろん大事だが、それだけではない
人間は、誰もが平均寿命まで生きられるとは限らない
今日かもしれない
明日かもしれない
何に、どこに、幸福感を感じられるのか
例えば、お金を稼ぐことに、それを感じる人
家族皆で生活できることに、それを感じる人
1億円の貯金にも、それを感じられない人もいれば
たまに行く、お昼のランチにそれを感じられる人もいるだろう
私は、毎日の生活の中にでも幸せを感じられる人間でいたいと願う
私に係る人々が喜んでくれ、その上で生きていけるだけの収入が少しあれば満足できる人間(主観的幸福感)
(以前の会社で、経営状態が厳しかったため、役員ではなかったが自分の給与を30%減額したうえ、金融機関に継続支援を依頼した)
今日かもしれない
明日かもしれない
その最後の日に、満足できる人生だったと思うために
幸せのものさしは、小さなものでよい
なぜなら、人の欲に限りというものは無いから
夢という目標はしっかりと持ち
これから、もっと小さなものさしを探しに行こう
沢山の幸せを感じるために!